日米間著作權保䕶ニ関スル條約(日米著作権条約)

日米著作権条約のテキストが見つからなかったので、国立公文書館デジタルアーカイブの画像から文字起こししました。

日米間著作權保䕶ニ関スル條約

朕明治三十八年十一月十日東京ニ於テ朕カ全權委貟ト亞米利加合衆國全權委貟ノ書名調印シタル日米間著作權保䕶ニスル條約批准シ茲ニ之ヲ交付セシム
睦仁(天皇御璽)

明治三十九年五月十日

内閣總理大臣𠔥外務大臣侯爵 西園寺公望
内務大臣 原 敬

日本國皇帝陛下及亞米利加合衆國大統領ハ互ニ両國ニ於テ著作權ニ關シ法律上ノ保䕶ノ便益ヲ各其ノ臣民及人民ニ擴張セムト欲シ之カ為協約ヲ締結スルコトニ決シ日本國皇帝陛下ハ其ノ外務大臣陸軍大将従二位勲一等功三級伯爵桂太郎ヲ亞米利加合衆國大統領ハ其ノ日本國駐剳特命全權公使「ロイド、シー、グリスコム」ヲ各其ノ全權委貟ニ任命セリ因テ各全權委貟ハ互ニ其ノ委任状ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メ協定スルコト左ノ如シ

第一條

両締約國ノ一方ノ臣民又ハ人民ハ文學及美術ノ著作物竝寫真ニ付他ノ一方ノ版圗内ニ於テ其ノ國ノ臣民又ハ人民ニ許與セラルル保䕶ト同様ノ基礎ニ於テ不正ノ複製ニ對シ著作權ノ保䕶ヲ享有スヘシ伹シ本協約第二條ノ規定ニ遵由スヘシ

第二條

両締約國ノ一方ノ臣民又ハ人民ハ他ノ一方ノ臣民又ハ人民カ其ノ版圗内ニ於テ公ニシタル書籍、小冊子其ノ他各種ノ文書、演劇脚本及樂譜ヲ認許ヲ俟タスシテ翻譯シ且其ノ翻譯ヲ印刷シテ公ニスルコトヲ得ヘシ

第三條

本協約ハ之ヲ批准シ其ノ批准ハ成ルヘク速ニ東京ニ於テ交換シ批准交換ノ日ヨリ之ヲ實施シ其ノ實施後ニ公ニセラルル著作物ニ限リ適用スヘシ両締約國ノ一方ハ何時タリトモ本協約ヲ終了セムト欲スル旨ヲ他ノ一方ニ通知シタル後三箇月ヲ経過シタルトキハ本協約ハ全然消滅ニ歸スヘシ

右證據トシテ上記ノ各全權委貟ハ本協約ニ記名調印スルモノナリ

明治三十八年十一月十日即西暦千九百五年十一月十日東京ニ於テ日本文及英文ニテ認メタル本書各二通ヲ作ル

桂 太 郎印
ロイド、シー、グリスコム印

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ帝祚ヲ踐ミタル日本國皇帝(御名)此書ヲ見ル有衆ニ宣示ス
朕帝國ト亞米利加合衆國トノ間ニ日米間著作權保䕶ニシ明治三十八年十一月十日東京ニ於テ両國全權委貟ノ記名調印シタル條約ノ各條目ヲ親シク閱覧點檢シタルニ善ク朕ノ意ニ適シ間然スル所ナキヲ以テ右條約ヲ嘉納批准ス
神武天皇即位紀元二千五百六十六年明治三十九年四月二十八日東京宮城ニ於テ親ラ名ヲ署シ璽ヲ鈐セシム

御名 國璽
外務大臣侯爵西園寺公望


補足

第1条は、日米両国は自国の著作物を保護するのと同様に相手国の著作物を保護すること(内国民待遇)を定めています。
第2条は、日米両国は相手国の著作物を翻訳し、その翻訳を出版する際は許諾不要であることを定めています。
第3条は、批准の日から条約が発効されること、対象となる著作物は条約発効後に公表されたものに限ること、条約終了の通知から3ヶ月後に条約が消滅することを定めています。

相互主義について

著作権保護期間相互主義とは、本国で著作権保護が終了した著作物については他国でも保護を終了できるというルールのことです。万国著作権条約4条4項(a)やベルヌ条約7条8項で定められており、日本の著作権法にもそれが反映されています。しかし日米著作権条約にはその類の取り決めはありませんので、当時のアメリカの著作物には日本国内の著作物と同じ保護期間が与えられます。

日米著作権条約は1906年5月11日に公布されました。その後1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約によって廃棄が確認されると同時に、内国民待遇を4年間継続することとされました。

アメリカは1952年発効の万国著作権条約に当初から加盟、日本も1956年に万国著作権条約を批准したので、日本での発効日1956年4月28日以降はアメリカの著作物にも相互主義が適用されます。ただし、同日に施行された万国条約特例法(リンク先は1956年当時のもの)の11条では、それまで国内の著作権法で保護されていた連合国の著作物は従来と同じ保護を受けることが定められています。そのため1956年4月28日より前のアメリカの著作物には相互主義は適用されません。

また、ベルヌ条約には日本は1899年に加盟、アメリカは1988年に加盟していますが、万国条約特例法の趣旨に照らせば、過去のアメリカの著作物には内国民待遇が適用される(相互主義は適用されない)と解するのが相当であると裁判所は判断しています。

1928年に公開されたディズニー映画「蒸気船ウィリー」著作権が2023年12月31日に本国アメリカで消滅した際、日本での著作権は2047年もしくは2052年まで継続するかもしれないという説が紹介されました。「アメリカで著作権切れなら相互主義で日本でも著作権切れなのでは?」と不思議に思った人もいたかもしれませんが(私も最初そう思いました)、それは上記のような経緯があったためです。